御柱の起源とは?
諏訪大社の御柱祭が行われるようになったのは平安初期からだとされています。室町時代まとめられた「諏訪大明神画詞」に、桓武天皇の時代からであると残されているのです。御柱の起源については明らかになっていないのですが、古くから諏訪大社で行われている神事の中で最も重要なものであると考えられています。御柱である4つの柱についてはいくつかの説があります。
「神殿の柱」説
現在の御柱祭は、御柱を建立して宝殿を改築するのみとなっています。諏訪大社には神殿がありませんが、最初からないわけではなく、かつては諏訪大社には巨大な神殿があって、4つの御柱はその名残なのではないかと考えている人がいます。以前は定期的に神殿を新しくしていたのを簡略化して、四隅の柱だけを建て直すようになったとする説です。
「トーテムポール」あるいは「結界表示」説
トーテムポールは先祖の霊を祀るために一族が建てるポールで、外国にあるものがよく知られています。しかし、日本の諏訪地方の遺跡からもよく似たものが発掘されています。特に、諏訪地方や八ヶ岳の麓あたりの遺跡から、石や柱を規則的に並べたものがたくさん出ています。柱の跡からは生活の痕跡が見られないために、もしかして御柱はトーテムポールではないかという説があります。
また、「古事記」の国譲り神話から、はるか昔の諏訪は外からの力が及ばないところだと、御柱を立てて結界を張っていたのではないかと考える人もいます。
「世界の四隅を支えている」説
世界の様々な場所に、「世界は四本の柱で支えられている」という話が伝えられています。このことから、御柱が世界の四隅を支える柱だと考えるのもあながち間違いではないようです。御柱祭が行われる諏訪では、建てられた御柱が傾いたり倒れたりすると、不吉なことが起きるという言い伝えがあります。実際に、第二次世界大戦時には御柱が傾いていたとのことですので、御柱を建てる氏子たちは責任重大だと言えるでしょう。
御柱祭の起源にはこだわらない?
御柱の起源は結局明らかにはなりませんが、実際に御柱祭を行っている人たちも、起源についてはそれほどこだわっていないのが現状です。起源はわからなくても、1200年以上も続けられている御柱祭をこれからも受け継いでいくという意志と、やり遂げた後の充実感が大切だと考えているのです。巨大な御柱を皆で力を合わせて山から曳き、天に向けてそそり立ったのを見た時の達成感は、何事にも代えがたいものがあります。これがなければ、御柱祭はここまで大きな行事にならなかったのではと考えられます。これからもこの御柱祭は代々受け継がれていくことになるでしょう。
豪快で壮麗な御柱祭を見たいと、この季節になると全国から多くの人が訪れます。天下の大祭として名高い祭ですから、見たことがない人は現地で見ることをおすすめします。想像以上に大迫力なので、圧倒されることでしょう。観光客は観覧する場所があらかじめ決められている場合がありますので、現地の人の指示に従うようにしましょう。