県内各地でも行われる御柱祭

遠山地方の御柱祭

御柱祭と言えば諏訪大社ですが、諏訪大社で行われる年と同じ年に長野県の各地にある諏訪神社でも御柱祭が行われます。信州の遠山地方では、和田諏訪神社御柱祭と程野諏訪神社御柱祭が行われます。和田諏訪神社は4月の上旬、程野諏訪神社は4月の下旬に里曳きが行われる予定です。和田諏訪神社の御柱祭についても知っておくと諏訪大社の御柱祭とどう違うのかがわかることでしょう。

御柱を定め、前の御柱を取り除く

7年に1度の御柱祭の開催の前には、次々回の分の御柱を定める儀式が執り行われます。これを「献木見定式」と言い、献木者の親戚や自治会、そして神社の氏子たちが参加し、木の前に神棚を作って祭事を行います。これが終わってからでないと、その年の御柱に斧が入れられません。また、この献木者は、昔からしっかりとした財力と後継者のある家でないといけないとされています。これが終わると前回の御柱を境内から取り除きます。「前献木納式」と言い、取り除いた御柱は社殿の修復などに使われます。前献木納式が終わると、その年の御柱として使われる木を切り倒す「献木斧入式」があります。神事を行ったあと、チェーンソーで切り倒されるのです。ちょうどこの頃、各自治会長がこの地区の住民たちから縄用の藁を集めに回ります。そしてこの地区の氏子たちが集まった藁で縄を綯います。既製品を購入するのではなく、住民たちで一丸となって祭の準備が進められるのです。

山出し式から御柱祭本番へ

切り倒された木(御柱)を山から下ろすのが「山出し式」です。山の急斜面を引き落とされる巨木が見所になります。山から下ろされた御柱は、本番まで学校の校庭などに移され、本番に備えます。一方諏訪神社では、室堀りといってこの柱を建てるための穴を掘り、どのように御柱を運び込めば良いか、穴はこの位置で良いかなどを確認するリハーサルが行われます。

山出しから1ヶ月後に、御柱を神社へ曳く「里曳き」があります。御柱を置いていた学校の校庭から神社までの道のりを御柱音頭と共に曳行するのです。約100人の行列がゆっくりと御柱を曳く様は目を惹きます。御柱を曳く人たちと見物人たちで神社までの約1.5キロは大賑わいとなります。この山出しや里曳きは諏訪大社の御柱祭と同じように行われるので、規模は小さいですが見応えはあります。

諏訪神社に曳行された御柱を建てる時が一番のクライマックスです。ワイヤーを使って巨木を慎重に建て、その頂上に御幣を打ち込みます。この役割を任される若者のことを「てっぺん野郎」と呼び、この瞬間も盛り上がる場面になります。建てられた御柱は、次の7年後の御柱祭の日までそこに存在することになります。

和田諏訪神社の御柱祭は諏訪大社の御柱祭よりは規模が小さいですが、こちらも由緒正しい神事です。氏子をはじめ地域住民たちが一丸となり、これから先も御柱祭を継承していく努力をしています。