関わりたい?関わりたくない?
諏訪大社の御柱祭は、地元の人にとってとても重要な神事であり、御柱祭の年はこれが第一という雰囲気になります。すべてを御柱祭にかけるという思いがあるようで、結婚式や改築は御柱祭の年にするな、とも言われているほどです。地元の人たちは、御柱祭についてどう思っているのでしょう。
ある人は、両親ともに御柱祭に熱心な家に育ったが、小さい時からお祭りは好きではなかったと言います。子どもの時から子ども木遣りや長持に駆り出され、イヤイヤ行っていたので、楽しいものではなかったそうです。御柱祭は子どもが楽しいお祭りではなく、朝早く起こされて、1日中大人にどやされて、ただただ苦痛だったと言います。大学進学を機に諏訪を出たので、関わらなくなりました。離れてから最初の御柱祭を見た時は「あれ、面白いかも」と思いましたが、関わりたいかと言われると、関わりたくないのが本心だそうです。祭そのものよりも、地域のコミュニティが負担だと言います。
どちらかというと面倒だが…
子どもの頃から木遣りで参加していた女性は、荒々しい雰囲気の中にも温かさがあると感じ、ずっと関わってきていると言います。年齢による上下関係もあり、祭の準備や練習で時間が取られるので、今の感覚からすると、とても面倒です。御柱祭までのいろいろな準備だけでなく、その準備の後は絶対に飲み会がありますし、「振る舞い」(ごちそうを用意して振る舞うことで、知らない人でも家に上げてごちそうを振る舞う)なんて、現代ではありえないことです。しかし、こういった部分から、御柱祭の温もりを感じているそうです。今は子どもの数も少なくなり、参加する人もだんだん少なくなってきていますが、面倒なことを通して一体感が得られるような気がするので、自分の子どもの世代にも繋いでいきたいと考えています。
御柱祭のために仕事を辞める?
子どもの時から御柱祭に関わって、学校を卒業した後、一旦地元を離れた男性は、数十年ぶりに地元に戻って御柱祭に関わることになりました。大変だなと思っていたのですが、人付き合いや村付き合いが好きだったので、20年ぶりでもすんなり馴染めたそうです。
地元の若者の多くは御柱祭に特別な思いを持っていて、御柱祭のためなら仕事を辞めるといった人もいるようです。御柱祭のために休暇を申請して、受理されなかったら辞めてでも祭に参加するというのです。御柱祭は諏訪の根幹をなすものとして続いていかなければならないものと考えており、これからも関わっていきたいと言います。
地元の人たちの声の一部ですが、関わりたい人、関わりたくない人、どちらもいるのは仕方がないことです。しかし、諏訪の多くの人が絶やしてはいけないことだと考えているようで、コロナ禍の中でどのように進めていくかをあれこれ知恵を出し合って、良い祭にしようと考えているようです。今までにない事態(コロナ禍)ですが、どんな形で執り行われるのか、楽しみでもあります。