北向観音と善光寺を両参りするのをおすすめする所以は?
北向観音と善光寺のどちらか片方だけの参拝のみだと片詣でと言われますがその理由はなんなのでしょうか。それは北向観音の御本尊である千手観音菩薩(病気や厄を祓う)は今私たちが生きている現世でのご利益に導くものであり、善光寺の御本尊の一光三尊阿弥陀如来は極楽浄土という来世へのご利益があることで、その両方を巡って現世来世とのご利益を得られるというところから来ています。つまり両方お参りすることで、現在のご利益と未来のご利益の両方をいただくようにお願いしたほうが良いとされているということです。
そして寺院の本堂とは普通は南向きに建立されるものですが、珍しいことに北向観音の本堂は名前の通りに北に向いて建立されています。善光寺は南向きに建立されており、ちょうど対角線上に位置していることもあり、どちらか一方だけではなく、両方参拝することで更にご利益がいただけるということで古来参拝客も多いのです。今、私たちが生きている現世の悩みや厄は北向観音で祓い、来世のご利益を善光寺でいただくというわけです。
天台宗は平安の世に最澄により延暦寺にて開かれました。その教えを伝えるため、北向観音は平安時代の825年に延暦寺座主の慈覚大師によって建てられましたが、木曽義仲の手により一部を残して消失、その後、源頼朝により再興、北条国時により再建されました。北向観音はその本坊である常楽寺を守護するように北向きに建てられたのではないかとも言われています。
そして善光寺の御本尊である日本最古の仏像と言われている一光三尊阿弥陀如来が百済から日本へ伝わり、信濃国国司であった本田善光により現在の地に遷座され、644年に勅願により善光寺が建てられました。仏教の宗派ができる前の時代だったため、無宗派の寺院として戦乱の世の中も身分や性別問わず、祈りを捧げるものには極楽浄土に導かれると説いていました。そのため女性の参拝者が多いことが善光寺参りの特徴でもあります。平安の世では善光寺の僧侶が善光寺信仰を民衆に広めるために御本尊の分身仏を背負いながら、全国各地を旅して広めていきました。鎌倉時代は多くの武将が善光寺を信仰していましたが、戦乱の時代には武田信玄、織田信長、豊臣秀吉らにより御本尊が様々なところに移され、祀られ、信州の地に戻ってこれたのは40年以上も経った1598年でした。その後、江戸時代が徳川家康により開府され、善光寺も戦乱の荒廃から少しずつ復興し、一生に一度は善光寺参りと様々な人々が訪れるような時代になりました。現在も災害に対する復興支援の祈りの場としても、多くの人々が訪れています。
更に、令和4年4月から6月末にかけて、善光寺では7年に一度の御本尊前立御開帳が執り行われるため、ぜひともそれに合わせて立ち寄ってみたいものです。この数年、感染症の影響で色々と大変な思いをした人も多いでしょう。善光寺で貴重な御本尊を参拝し、北向観音では厄除けや縁結びの祈願をしてみてはいかがでしょうか。